ルシタニア

ルシタニアメイン画像
タマルサリア諸島中央部と中西部の間には多くの小島が散らばっている。比較的人口の多い両地域間を結ぶ航路は、しかし暗礁が多いうえに海流の荒い、危険な海域でもあった。
特に暗礁に対しては様々な対策が練られたものの、最終的には「小船で以って細かく中継する」最も単純な方式が採用されることとなった。各中継点には商人をはじめとする多くの人々が引き寄せられるように集まり、集落は徐々に都市として整備されていった。
「小名共の国」「都市国家」とも呼ばれるルシタニアは、こうして産声をあげたのである。

そんな状況下にあって、帝国来寇はルシタニアが初めて経験した現実的な暴力であったと言えよう。

艱難辛苦の後に残ったのは、滅亡同然の惨状である。
巡らせた塀はことごとく打ち壊され、豪奢な家々は多くが焼き払われてしまった。港では多くの船が沈められ、積荷は焼き払われ、被った損失は筆舌に尽くしがたいものであった。

そのような状況下でルシタニアの中枢、中央会議は「旧構成都市の直轄化」を打ち出した。個々の行政官が持っていた自治権のほとんどを否定し、強力な中央集権体制を構築しようというのである。

しかし中央会議の一種強権的なやり方に対する構成都市の不満は大きく、予断を許さない状況が続いている。

←旧アツァリス連合残党エルフ諸族→